その他雑感

2007年9月16日 (日)

おじいちゃん、おばあちゃん

ネットで拾ったコピペひとつ。

私が15歳の1月。受験を目の前にして、深夜から朝まで受験勉強をしていたとき。机の上においてあった参考書が触ってないのに急に落ちた。溜息をついてそれを拾いに机の下にもぐったとき、それが起こった。

1995年1月17日5時47分。
私の住んでいた地方は戦後最大の地震に襲われた。
ものすごい地響きといろんなものが壊れる音を机の下で聞いていた。
しばらくして揺れが収まり、机から這い出すと机の向かいにあった窓ガラスが椅子の背もたれに刺さり、机の上はガラスと倒れてきた本棚でぐちゃぐちゃだった。わたしは拾った参考書をみて驚いた。

参考書だと思っていた本は、祖父母に前日買ってもらったばかりの日記帳。
鍵付きで革張りの、ちょっと高価なものがクラスで流行っていて、 私も例に漏れず欲しくなり (今となってはどうして欲しかったのかもわからないけど) 買ってもらったものだった。
「あれ?」とおもって中を開くと、最初のページに 「生きていることをただ感謝し、毎日を大事にせよ」と僧侶だった祖父の達筆な言葉が書かれていた。

はっと我に返ったとき、母が血相を変えて私の部屋に来た。
机の下で丸まっている私を見て、無事な姿に大泣きしていた。

その2時間後。祖父母が地震で亡くなったと叔父からやっと連絡があった。
ところが、亡くなっていたのは布団の上ではなく、二人とも本堂の仏さまの前だったと言う。

後から聴いた話で、祖父母は、受験前の私のために、毎日朝5時半ごろから仏様に読経をしてくださっていたのだ。
あの日記帳を落としてくれたのは、祖父母だったのではないかとおもえてなりません。

そのことがあって、私は受験高校を変更、現在は看護婦をしている。
生きていることを感謝し、毎日を大事にしたい。

日記という名の手紙を毎日日記帳につづり、祖父母に供えて手をあわせています。今年で8冊目。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (0)

2007年9月14日 (金)

娘から父へ

ネットで拾ったコピペひとつ

32歳♂です。
2年前に独立したが一人で仕事を進めていくのはなかなか大変で、毎晩家に帰るのは夜11時以降。休みも接待やらなんやらで殆ど外出。
半年振りに昼過ぎに家に帰ったら、4歳になる娘が「今日は私がごはん作ってあげる!」とおおはしゃぎ。

妻と娘が作ってくれたのはオムレツ。ケチャップでウサギの絵が書いてあった。 「おぉ、うまそうだな!」と言いつつ、一口食べた瞬間、娘が泣き出した。
俺はてっきり、ケチャップのウサギの絵を崩してしまったからだと思い娘に「ゴメンね」と言ったら、彼女は首を横にふりながら

「お母さんの手伝いをしてる間に料理が作れるようになった。いつもパパに食べてもらおうと思ってたけど、パパはいつもおうちにいなくて、料理を 作ってあげられなかった。やっとパパに私の料理を食べてもらえた」

と言って泣き続けた。娘の優しさに、俺も妻も涙が止まらなくなった。 仕事のためと言いつつ、娘に寂しい思いをさせ続けた俺自身がはずかしい。
これからはもっともっと娘のそばにいてやろう。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (2)

2007年9月 1日 (土)

子供たちへ

ネットで拾ったコピペひとつ。

おまいがお腹に宿った事
おまいが生まれた事
おまいが笑った事
おまいが泣いた事
おまいがはじめてハイハイした事
おまいがはじめてママと呼んだ事
おまいにはじめて歯がはえてきた事
おまいがはじめて立った事
おまいがはじめて歩いた事
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
全部親孝行だ。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (0)

2007年8月13日 (月)

ネットで拾ったコピペひとつ。

一昨日、結婚式だった。
新居がまだ未完成のためしばらくは嫁とは別居。

昨日一人で自宅に戻ると、親父が一人で酒を飲んでいた。
「お疲れ様。昨日はありがとう。」とオレが言うと、オヤジは無言で立って、
冷蔵庫からスパークリングワインを一本持ってきた。
無言の乾杯。オレもオヤジも一口飲んでグラスを置いた。
オヤジがしみじみと、「お前の結婚を見届けて、一仕事終わった気分だ」と一言。
すると、しばらくしてオヤジは突然ボロボロと涙を流しだした。

オレは小さい頃、足の病気のため3歳の頃から4年間ほど義足生活をしていた。
原因不明の病気だったそうで、あちこちの医者を駆けずり回ってくれたらしい。
歩けないオレをおぶって、毎日のように病院へ通った日々。
一生義足で暮らさなくてはいけないかもしれない。そう言われたこともあったという。
神社で式を挙げている時、その想い出がよみがえって、涙をこらえるのに必死だったそうだ。

泣き止んだオヤジが、またオレのグラスに酒を注ぎながら、
「これでもうオレがしてやれることはない。これからはお前が嫁さんと子供に自分の責任を果たす番だ。」と言った。
「ありがとう。頑張るよ。」と答えた。
初めてオヤジに、心から「ありがとう」と言えた気がする。

新居に引っ越すまでのあと3週間、出来るだけ毎日オヤジと酒を飲もう。
今日はオヤジの大好きな芋焼酎を買って帰るか。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (0)

2007年8月 3日 (金)

コロナ

ネットで拾ったコピペひとつ。

おれが8歳だったころ、日曜日に父がおれを、買ったばかりの白いコロナで買い物に 連れて行ってくれた。おれは野球板を買ってもらって(年がばれる・・・)大喜びしていたんだけど、父にはもうひとつの目的があった。

その年、おれの両親は結婚10周年を迎えていたんだ。父はいわゆる猛烈サラリーマンであまり家にいなかったから、おれはむしろ、母との結びつきを強く感じながら育った。だからその日も、車の助手席に乗っていてなんだかちょっとだけ居心地が悪かった 印象がある。

父は、ケーキを作るための材料をたくさん買った。そして家に帰って、本を読みながら、父とおれは二人で一生懸命ケーキを作った。何回やってもダマダマになってしまって、どうやっても母が作るみたいなおいしいケーキはできなかった。

ようやくできたケーキをコロナの後部座席に乗せる。父はアクセルもブレーキも静かに静かに踏んで、病院に向かう。母はそのとき、おれの妹になるはずだった子供を流産した後の経過が悪く、入院していたんだ。

病室の母にケーキを届けると、母はとても喜んでくれた。すごく嬉しい。こんなにたくさん、とても一度に食べきれないよ。だから、今、一緒に食べよう。でもね、隣のベッドの患者さんは、誰も身寄りがない人なの(そのときはちょうどいなかった)。だから、三人で車のなかで 食べようよ。

最初は父が助手席に座って、母とおれは後部座席に座った。だけど、お父さんだけ前じゃ寂しいよって母が言って、おれたちは後ろの座席に三人並んでケーキを食べた。肘が当たったりして 窮屈だったけど、父も母もおれもいっぱい笑って、すごく楽しかったんだ。

母の病状は、それからしばらくして回復した。

それから13年後、おれの家にはまだそのコロナがあった。あの日以来、父は家族三人をたくさん ドライブに連れて行ってくれるようになった。免許を取ったおれが初めて運転したのもそのコロナだった。

17万キロを走ったコロナは、駐車場が露天だったせいもあって錆がひどく、室内の雨漏りも するようになっていたので、父も買い替えを決断した。

新しい車が来る日、おれが昼近くになって起きると、台所で父と母が二人で何か作っていた。 寝ぼけ眼のおれだったが、すでにだいぶ前から、家族の中で一番力が強いのはおれになって いたから、母は迷うことなくおれに泡立て器を持たせた。

そして、あの日と同じように、三人でコロナの後部座席に並んで座って、ケーキを食べた。 ケーキを口にした瞬間、いろんな思い出が走馬灯のようにおれの脳裏をよぎって、涙があふれた。 母は子供みたいに声を出して泣いた。父はずっと窓の外ばかり見ていた。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (0)

2007年7月27日 (金)

妻から夫へ

ネットで拾ったコピペひとつ。

どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか (゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!

もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!

医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!

ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!

あんたも遠くから見守って居てください。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (1)

2007年7月14日 (土)

ネットで拾ったコピペ2つ。

実家を遠く離れて働いてる。
まとまった休みも取れず、金銭的にも余裕がないので
なかなか帰省出来ない。
お盆休みなどないと何度も言ってるのに
実家に電話する度にいつ帰って来られるのか聞かれ、イライラしていた。
先日、母に「今日はアイスが4割引だったから買ってきたよ。あんたが帰って来たら食べると思って。」と言われ、電話を切って泣いた。
お金はないけどアイスぐらい自分で買える。
アイスのためにわざわざ帰るわけがない。
母だってそんなこと、よく分かってるはず。
それでも、もしも娘が帰って来たら 食べさせられると
山のようにアイスを買って、帰るあてもない 。
私を待つ母の姿をひとりで勝手に想像して泣いた。
自分がなんて親不孝かと思い知らされてまた泣いた。



昨日、誕生日だったんだけど朝、母親に何も言われなかった。毎年母親は誕生日の朝に「おめでとう」って
言って祝ってくれたから少し淋しくなった。
夕方、母が家に帰ってきて私の部屋に入ってきたので、今度こそ「おめでとう」って言ってもらえると思って喜んでたが、母が勤めている会社が倒産することになったことを涙ながら知らせられた。
私も一緒に泣いてしまった。
夜は約束があったので少し外出して帰ってきたら
部屋に置き手紙があった。
『○○へ
 誕生日おめでとう。
 ごめんね。今日一日色々な事があって 何もできなくてすみません。』
もう誕生日なんてどうでもよくなって泣いてしまった。


ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (2)

2007年7月 7日 (土)

スタンダード2

先日”バサラ”というチームに所属しておられる大西さんが仕事の合間にペニーズバーガーを食べに来てくださいました。待兼山からのお客さんで、ここ渋谷に移転してきた時も井上さんをはじめチームの方々とヴィンテージのハーレーに乗って駆けつけてくださり、その爆音に多くの近所の人たちが窓やベランダから”何事!?”みたいな顔で覗いていたのを今でもはっきり覚えています。

話はいつも”最近の若い子は。。”から始まります。結局はバイクにしてもファッションにしても個性のある、オリジナリティのある子が少なくなったなあという一種の嘆きです。もちろん参考にするところはすればいいと思います。しかし、雑誌やテレビや芸能人にダイレクトに左右され、オークションの検索ワードに至っては”キムタク”が当たり前。人と同じような格好をして何がいいんだろう。服から小物からすべてハーレーの名前、マーク入り。ハーレーに乗っているだけで充分じゃないか。ジャケット、ジーンズ、ブーツすべて同じメーカーのレプリカ。やりすぎだろ。そういった思いです。極端なことを言えば、一枚のジャケットがとても気に入ったとします。しかし丈が少し長いから、前が閉まらないから、ワッペンが気に入らないからというあきらめではなく、本当にそのもの自体が気に入っているのなら、丈を切ってでも前を開けたままでもワッペンを張り替えてでもというこだわりがないという思いです。

2年後3年後果たして10年後、その服を着ていますか?そのバイクに乗っていますか?ということなのです。こだわりを持っているのであれば必ず変わることはないでしょう。その時流行っている物や特別なものでなくていい、ずっと変わらないスタンダードなものが一番かっこいいと思います。そして、それと同時に自分の中にも変わらないこだわり、スタンダードをしっかりと持ち続けること、これが個性を生み出しオリジナリティを形成するのです。

それでは愉快な仲間たちは?当然、充分個性に満ち溢れています。そして彼らがオリジナリティを形成する上で何か必要なテイストを加えること。それが私の役目だと思っています。

ブログランキングに参加しています。クリックしていただければ人気blogランキングへ投票されます。ご協力お願いします!

| | コメント (1)

2007年7月 6日 (金)

スタンダード1

先日某有名雑誌の出版会社から電話がかかってきました。”読者からの紹介で是非御社を紹介させて欲しい。”誰もが知っているその雑誌名、最初はおおっ!と思ったのですが話を聞いていると何か違う。何か不愉快。直接的には当然表現しないもののニュアンスは”紹介してあげる”。はっきりとは忘れましたが月間全国何万か何十万かの読者がいる”これほど有名な雑誌に掲載できてあなたは光栄””はっ?別に興味ないんで。”さらに”こんな機会はめったにないですよ。全国の。。””結・構です!全国云々に関係なく本当に好きなお客さんがたくさん来てくれていますから!”なんら宣伝を打たなくても遠くは埼玉、東京、名古屋、九州からお客さんは足を運んでくれています。そして日々店に来て下さる人々はやはりこの近くに住んでいる方々がメインになります。ですので先日紹介させていただいた本当に地域に密着した豊中・池田ケーブルネットの取材依頼なんかは喜んで協力させていただいていますし、そのおかげで”何屋かな?”という皆さんの疑問にもケーブルテレビを通じて回答させていただき、たくさんの方々に新たに来店していただいています。特別にはならなくていいと思います。スタンダード、定番として、流行くさりとは関係なく長くみなさんに愛されるそんな存在でいたいと思っています。

そして最近、モルトブォーノという生パスタやさんが運営する吹田・豊中・池田の地域情報サイトでも紹介していただきました。最近運営し始めたばかりでSNS(ミクシィのようなもの)何かもありこれから地域密着情報サイトとしてこの池田を盛り上げてくれたらなあと期待しています。

ブログランキングに参加しています。クリックしていただければ人気blogランキングへ投票されます。ご協力お願いします!

| | コメント (0)

2007年6月16日 (土)

靖国神社参拝

先日の原爆句抄について思った以上に反響があり、捉え方はさまざまだとは思いますが、少なくとも戦争がどんなものか多くの人たちに考えるきっかけを持ってもらったということはとてもうれしいことだと思います。

しかしこういった戦争という本質的な問題を逸脱した最近の、背景に政治的経済的な思惑が見え隠れする靖国神社参拝問題には、正直うんざりしています。

以下は台湾新竹基地より出撃し戦死した、神風特攻隊「振天隊」隊長、古川正崇中尉の出撃の一週間前、妻をめとることなく、もちろん子供もなく出陣しわが子のように慈しむ甥龍吉に宛てた手紙です。

私たちは先ず、第一に人であるという事を考えねばなりません。人として働き人として考える。そうして、お互いに人を愛し人を信頼してゆくならこんな幸せはありません。世界中の人間が協力し愛しあって生活すればどんな事だって出来ると思います。そんな世界はどんなに幸福なことでしょう。

子供のあるという事はどんなに嬉しいことだろうかと思いました。私にも子供があればいいなあと思いました。私にも出撃が迫りました。再びは帰らない出撃です。だけども死ぬことなんか大したことはないようです。

私の戦友達も多く笑って死出の旅に出てゆきました。死ぬことなんか考えなくてもいいのです。

ただ生きる限りは朗らかに生きることを楽しんでください。どんな時でも自分は生きているのだと思えば楽しさが溢れるのです。

死を目前にした人間の書く文章とは思えないほど光、輝きのある文章だと思います。このように純粋に日本を愛し、日本の為に出陣し、日本の為に命を犠牲にした若者がいったい何人存在したのか。そのことを考えるだけで自然に合掌し、英霊に対し冥福を祈る気持ちを持つことは人としてごく普通の行動だと思うのです。個人的に右とか左に偏っているとは思いません。しかし、むしろそんなことを抜きにしても、参拝したい人が参拝すればいい。参拝できない人でも心で手を合わせればいい。そしてもうこんな犠牲は二度と出さない。そう誓えばいい。ただその自然な気持ちだけだと思うのです。

ブログランキングに参加しています。クリックしていただければ人気blogランキングへ投票されます。ご協力お願いします!

| | コメント (0)

2007年6月14日 (木)

原爆句抄

日頃、いろんなブログを読んでいます。社会的なものから、日常的なものまで、いろんな人たちの考えや思いを吸収するひとつの手段として。ただし、それを丸呑みするのではなく自分自身の分析や考えと照らし合わせることも怠ってはいけないと心がけています。そんな中でいろいろ考えさせられるブログに”きっこの日記”というものがあります。一ブロガーでありながら耐震偽装など社会的な問題に切り込んでいく姿は、そのやり方に賛否両論あるものの時として胸のすく思いと深く考えさせられる機会をしばしば与えてくれます。下記の松尾あつゆきという俳人についてもこの日記で始めて知りました。その彼の作品”原爆句抄”を読んでとてつもない大きな衝撃を受け涙しました。原爆記念日や終戦記念日にだけ思い起こせばいいものじゃない、過去の人々の経験として語り継いだらいいものでもない、今生きている世代の人々すべてが日々戦争のおそろしさ、おろかさを意識しなくてはならない。そう痛感しました。

「原爆句抄」    松尾あつゆき

八月九日 長崎の原子爆弾の日。
我家に帰り着きたるは深更なり。
 
「月の下ひっそり倒れかさなっている下か」

十日 路傍に妻とニ児を発見す。
重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

「わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ」

「すべなし地に置けば子にむらがる蝿」

「臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい」

長男ついに壕中に死す(中学一年)。

「炎天、子のいまわの水をさがしにゆく」

「母のそばまではうでてわろうてこときれて」

「この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔」

「外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら」

十一日 みずから木を組みて子を焼く。

「とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい」

「ほのお、兄をなかによりそうて火になる」

十二日 早暁骨を拾う。
 
「あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で」

「あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな」

十三日 妻死す(三十六歳)。

「ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる」

十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。

「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」

「夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ」

「降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ」

あまりの衝撃的な内容と展開に固唾をのみます。あえて一句一句の解説はしません。松尾あつゆき自身の妻と4人の子供への過酷な思い、無念さを解説できる言葉なんて存在するはずがないからです。繰り返しになりますが、私自身も含め今生きている世代の人々すべてが日々戦争のおそろしさ、おろかさを意識しなくてはならない、そう思います。

ブログランキングに参加しています。クリックしていただければ人気blogランキングへ投票されます。ご協力お願いします!

| | コメント (0)

2007年6月 9日 (土)

バーガーキング復活

昨日東京新宿にバーガーキングが復活しました。復活したというのはつまり、以前日本に展開していたのですが、あまり受け入れられることなく撤退した経緯があるからです。

バーガーキングは以前書いたようにアメリカに買い付けに行く時は必ず複数回立ち寄る、お気に入りのハンバーガーショップです。なので復活は大歓迎です。以前展開していた時も結局東京と沖縄基地内しかなったので、今回大阪にオープンすることを少なからず期待しています。直火で焼いた大きなパティと野菜たっぷりのワッパーは十二分に空腹を満たしてくれる、まさにアメリカンなハンバーガーの代表といっても過言ではないと思います。しかし、このなんというか日本的な行列をなしてひたすら待つといった盛り上がりにはどうも眉をひそめてしまいます。

先日オープンしたクリスピークリーム(Krispy Kream Doughnuts)も然りです。確かに出来立てはおいしいですし、今までのドーナッツにはない食感を味わうことができます。しかし1時間、2時間並んで待つほどのものなのか。手にした時点でもう出来立てではなくなっているのに。ましてや一泊して大阪へ持って帰るなんて人も。。

以前撤退した時期は折りしもマクドナルドが65円バーガーを打ち出した頃、経済的な背景も大きく影響していたのは間違いありません。しかしその時バーガーキングなんて高いだけだと見向きもしていなかった人たちが、今この復活に待ってましたと敏感に反応しているかと思うと。。

私がアメリカを好きな理由は、自分の国を、自分の町を、自分にかかわる衣食住すべてを愛しているところです。極端な話行きつけの店、それがハンバーガーショップでもスーパーマーケットでもいい、それらは彼らにとって生きている間ずっと飽きることなく、お気に入りなのです。間違いなく。そんな人間らしいハートを持っている人たちがいるアメリカがとても好きです。

バーガーキングに関しては明らかに美味しいのですが、例えば自分はそれほど美味しいと思っていないものでも、人が並んでいるから、人が美味しいといっているから、流行っているから、だから自分も、みたいな完全に個性を押しつぶした”のり”は少し寂しい気がします。

目先の利益に走り、お祭りごとをプロデュースする企業側にも問題があると思いますが、そんなことに踊らされることなく、もっと揺らぎのないこだわりのある価値観と、人に左右されることのない個性と、ゆっくりでもいい長く愛せるこころの強さを忘れたくないと思います。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。クリックしていただければ人気blogランキングへ投票されます。ご協力お願いします!

| | コメント (0)

2007年5月16日 (水)

おじいちゃん

先日”伝説のスピーチ”を掲載したところ、日々のブログのカテゴリーとは全く違うにもかかわらず思った以上に反響がありました。インターネットでいろんな方のブログやコミュニティを拝見していると本当に心を打たれる文章や声を出して思わず笑ってしまうようなエピソードに出会うことがよくあります。しかしそのほとんどがその場限りで通り過ぎ、後に思い出すとしてもそのうちのほんの一部でしかありませんでした。しかし今、いろんな方々が私のブログを見てくださるようになって、決して押し付けではありませんが是非知っていただき,思いを共有したい、また自分としても書き残しておきたい、そんなインターネットで出会った笑いあり涙ありの文章やエピソードも綴っていきたいと思っています。

俺の嫁さんのおじいちゃん
20年前に寝たきりになったお婆ちゃんの介護を
一言も、誰にも文句を言うわけでもなく、甲斐甲斐しくしていた。
20年間、何処にも遊びにも行かずに

そしてお婆ちゃんは亡くなった。

おじいちゃんは泣いていた
親類も泣いていた、泣いてはいたが
「やっとこれからおじいちゃんも第二の人生が送れるんだろう」と
「旅行でも連れて行ってあげよう」と、どこかで思っていた。
(介護は断固としておじいちゃんがやると言って、聞いてくれなかったらしい)

お婆ちゃんが亡くなってすぐお爺ちゃんは倒れた

膀胱癌だった。

かなり進行していて、更に高齢な為に
何も出来る事はないそうだ

「何故ここまで放っておいたんですか・・・
ここまで来るにはそうとう自覚症状もあったでしょうに・・・」

お医者さんはそういっていた。
一緒に暮らす家族全員、お爺ちゃんは健康そのものだと思っていたらしい。

「あいつの事で散々迷惑かけてるのに、そんな事言えるかい」
おじいちゃんは、そう言って笑っていた。

おれはいつかこんな人になりたい。
長生きするのがお爺ちゃんにとって良い事なのかは分からない
でもどうか、長生きして欲しいです。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへ投票お願いします!

| | コメント (0)

2007年4月23日 (月)

伝説のスピーチ

いつもとは全く違う話題ですが、インターネットでよく取り上げられている”伝説のスピーチ”と言われているものです。環境問題は私たちにとって重大な非常に気になるテーマのひとつです。私自身先頭切って環境運動や活動をしているわけではなく、ただ15年も前にそれも当時12歳の少女がブラジル、リオ・デ・ジャネイロで開催された環境と開発に関する国連会議(環境サミット)に集まった世界の指導者たちを前にこのスピーチをしたということを最近知り大変大きなショックを受け、それを是非紹介したいと思いました。

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜかというと、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のためだからです。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうのですから。

私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。 太陽のもとにでるのが、私は恐ろしい。オゾン層に穴があいているから。呼吸をすることさえ怖い。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくということを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠に戻ってはこないのです。

私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないでしょうか?あなたがたは、私ぐらいの年の時に、そんなことを心配したことがありますか。 こんな大変なことが、ものすごい勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。 どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表なのでしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたも誰かの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は今とても怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私はとても恐怖を感じています。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないのです。 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもですがこのことを知っています。

学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

争いをしないこと
話しあいで解決すること
他人を尊重すること
散らかしたら自分でかたずけること
ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
分かちあうこと
そして欲ばらないこと

ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているのですか。

なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。 親たちはよく「大丈夫。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。お聞きしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

父はいつも私に不言実行、つまり、何を言うかではなく、何をするかでその人の価値が決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私は言わせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。

最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。

というものです。15年も前から一人の少女が訴えてきたことに現在何かひとつでも改善されたのか。そのことに大きなショックを受けました。非常に考えさえられるテーマだと思います。

To be continued.

ブログランキングに参加しています。人気blogランキングへどうぞ!

| | コメント (0)